「檄を飛ばす=叱咤・激励する」は誤った日本語か?

先日、上司が部下に檄を飛ばしていました。
檄を飛ばすという辞書上の意味は、
「自分の主張や考えを広く人々に知らせる。」
こととあります。
テレビでも、「誤った日本語」として、よく取り上げられています。
ところが、
「叱咤・激励する。」の意味として、
80%程度の人が誤って使用している。*1

と、言うのです。
これは、誤った使用法なのですか?
言葉というものは、常に変化します。
いわゆる、標準語、マスメディアや国が言う、
「正しい日本語」とは、なんでしょうか?
80%もの国民が、使用している意味を、
誤っているというのでしょうか?
いうなれば、国の定義が、誤っているのではないでしょうか?


一方、ブログ社会が加速するネット上で、
新たな言葉が、異常なスピードで広まっています。
今後、国民のインターネット使用率が高まれば、
言葉の変化は、尋常では、なくなるでしょう。
日々、言葉が、消え作成される、世の中で、
果たして、標準語として、定義することを、日本の国は
できますか?

80%もの使用が認められている言葉ですら、
国は、国民の標準語として、定義しません。


今のところ、ネット上で、
wikipediaにしても、はてなキーワードにしても、
それぞれのサービスとして、独立したキーワード項目を持っています。
ところが、それらは、規格化されていません。
現状、標準化された、キーワードというものが、存在しません。
国は、やりません。というより、おそらく、できません。


WEB上の言葉を標準化する必要があるのでは、ないでしょうか?
今、やらねば、日本のいたるところで、
コミュニケーションギャップが発生するのは、ないでしょうか?
ブログという、情報媒体として、
一つの言葉に類似した、複数の意味があり、微妙にそれぞれが異なる。
というのは、問題だと思うのです。
例えば、その違いを利用したネット詐欺が出てくることもあるでしょう。


国は、やらずとも、ネット上はできないかということです。

*1:記憶上確かでは、ありませんが、問題の中に、誤って使用している率として、80%以上として、紹介しているものは、ありました。