ウェブ上の宗教戦争。スルーできない記事。
何故、ウェブ上で揉め事は起こるのかを自分なりに考えてました。気に入らないならスルーをすればいいと考える方もいるかもしれない。確かに、それができれば、揉め事にならないのかも、しれない。
だが、スルーできない記事があるのである。
宗教戦争。
仮にここにAという神を信じるエイ君がいたとしよう。Aは唯一絶対の神としてエイ君は信じている。ところが、Bという神を信じるビー君がいたとしよう。ビー君はこの神も唯一絶対のものと信じていたとする。そこで、エー君が、人類の代表の様に、Aは唯一絶対の神であるという、記事を書いたとする。そこで、ビー君はこの記事を読んでスルーすることができるか?答えはNoだ。ビー君は、エイ君という存在を認識したわけだ。ところが、ここでスルーをすると、エイ君の存在を認めてしまう。エイ君の存在を認めてしまうと、Bは唯一絶対の存在でなくなってしまうのである。そこで矛盾が起こる。何としても、エイ君という存在自体消滅させなければならない、ということになる。殺人です。口封じです。これが戦争に発展する恐れがある。*1
これがウェブ場のブログでも起きている。
と、言っても、そこに多くの場合、宗教はない。そこにあるのは、自分自身の信念だ。自分という存在は、時として、多くの人にとって、唯一絶対の存在である。他人の記事の存在、それを書いた人の存在を認めてしまえば、自分自身の存在が否定されてしまう。故にスルーできないのだ。その記事は存在してはならないのだ。だから、存在自体を否定しようという記事を書くことになる。この場合、本当の殺人ではなく、ウェブ上から排除することがそれに当る。*2つまり、ネガティブコメントや、批判記事だ。このことが周りの人間を巻き込むと、大きな揉め事になる。
では、どう考えれば、スルーできるのか?
答えは、意外に少ないのかもしれない。
例を挙げておく。
1.同じ神様だと考える。
Aという神様はBという神様と同一の神様で、呼び方が間違っているだけである、と考える。つまり、記事の内容を、自分と違う方向を向いてる様に見えるが、最終目的は同じであると考えること。そうすれば、自分を否定する必要はない。
2.神様は、唯一絶対ではないと考える。
A、Bと神様が複数いると考える。つまり、自分も相手も両方正しいと考えること。これは、自分の考え方を変えるわけだから、難しいのかもしれない。
3.無神教者になる。
神様はいないと考える。自分の信念を捨ててしまう。
最後に
スルーをする(駄洒落じゃないよ)ってことは、簡単なようで、難しい行為だなと実感している。記事にもよりけりだが、全てをスルーできる人物というのは、自分の中にある譲れない信念を捨てた人でなければ、無理なんだろうなと思う。