私が自分の「彼女」に求めること。

はしごたんの文章を読んでいて少々の違和感を感じたのでここに書くことにしよう。id:hashigotanを否定する気もないし、応援している。その上で単なる自分語りと思って読んで欲しい。折角の機会なので、私の恋愛感を語ることにしよう。
恋愛感は人それぞれだし、否定もしない。これは、あくまで、私の恋愛感であり、強制はしない。私の「彼女」を除いては・・。


 恋愛というものは、素晴らしい。それは、どうすばらしいのか?それは、人生を豊かにしてくれるものだ。どう豊かにするか?それは、
私の普段の幸せと不幸の波を大きく揺らしてくれる。
恋愛に幸せだけを求めるのもいい。だが、私は、恋愛する両者が愛するが故に傷つく人をたくさん見てきた。恋愛に苦労は付き物だ。「非モテ」の方にはひょっとすると理解できないことかもしれないが、愛する故に傷つくこともたくさんある。はしごたんは、少々幻想を抱きすぎているという気がしてならない。私にとって、恋愛とは、喜びをたくさんいただけるものではある。
だが、それと同時に過酷なこともたくさんある。
それでも、私は人を愛する。それは、それでもその喜びの素晴らしさがあるからであろう。
私が考える恋愛とは、
人間の中でもっとも、泥臭く、人間臭く、そして、生々しいものだ。あなたを愛する私も一人の人間であり、相手もまた一人の人間だ。
些細なことが気に入らなくて、受け入れられないことも、たくさんある。
 ところで、私にとって、セックスのというのは、特別な行為だ。
なぜなら、
私は「あなた」をいう実態、存在を肌で確認し、純粋にあなたを欲する。
私の欲望が純粋に「あなた」を欲する。「あなた」の存在を、実態を確かめるように「あなた」を欲する。それと同様に私が欲するのは、「あなた」に「私を欲する」といことを私は欲する。私のエゴかもしれないが、私は「あなた」自身と「あなた」が私と同様のことを思うことを欲する。私は「あなた」が私と同じことを考えていると、私が感じた時初めて愛を感じる。
 そこで、彼女の文章を見直してみた。「抱き締めて欲しい。」という記述はあるが、「あなたを抱き締めたい」という記述はない。

恋愛って、自分の弱さを曝け出す行為だよな。自分の弱さを相手に許してもらうことが恋愛やセックスなのかな…

http://d.hatena.ne.jp/hashigotan/20071213/p1

抱き締められたいという気持ちは分からなくはない。が、私の恋愛感の中では御法度だ。
なぜなら、私は、
時に愛する人を抱き締めたいし、時に愛する人に抱き締められたいからだ。
私は、一方的な愛には不安を感じるし、それゆえに、冷めてしまう。はしごたんに対して私が違和感を感じるのは、はしごたん自身が、恋愛が自分の弱さを曝け出す行為だとするなら*1
自分の弱さを受け入れてもらう代わりにAさんの弱さを受け入れなければならないのではないか?
と私は感じる。少なくとも私には彼女の文章からそれが感じられない。仮に私がAさんだとすると、ものすごく卑怯な恋愛だと思う。
「あなたは弱さを見せないでください。私はあなたに弱さを曝け出します。それを受け入れてください。」
 そういう印象を受けてしまう。(実際は違うのかもしれない。これは私の感じた印象だし、私個人の恋愛感である。さらに、私はAさんではないし、Aさんはそれでも、構わないのかもしれない。)
 私は限りなく弱い存在でかつ傲慢な存在だ。抱き締めるのにも見返りを期待している部分がある。


その見返りとは、
「あなたは私を抱き締めます。あなたも私を抱き締めてください」
それが私が自分の彼女に求める必須条件である。いや前提条件である。
「あなたが私を抱き締めてくれるなら私もあなたを抱き締めましょう」
それが私自身に課せられた相手の女性への最低限の礼儀であると思う。


両者の相互関係なくして恋愛はなりたたない。それが私の恋愛だ。


ま、さらっと書いたところで、私も彼女募集してみますか・・。

私はあなたを愛します。その代わりあなたも私を愛すると約束してください。あなたが不安な時、手を強く握りあなたを強く抱き締めましょう。その代わり、私が不安な時、手を強く握りあなたを強く抱き締めてください。私が辛い時、そばで支えてください。私はあなたが辛い時、そばで支えることを約束します。
気が向いたらメールを下さい。プロフィールのところに書いてあります。

*1:そこは同意の上で