「嘘、おおげさ、紛らわしい」という名の表現力

記事のタイトルにおおげさなタイトルが付けられることがよくある。
釣りと呼ばれる記事の多くがそうである。おおげさ過ぎて、批判の標的になったりすることもある。
そこで敢えておおげさに考えてみた。

例文

目の前に存在する屑は今すぐ捨てるべきだろうか。

近年、会社にとって不要な人物は首を切られることが多々ある。会社からすれば不要なのであろう。
ともあれ不要なものは捨てなければならない。それは社会的風潮とも言うべきなのであろうか。しかし、私は目の前に存在する屑を捨てようか悩んでいる。それは確かに不要なのかもしれない。しかし、捨てるべき場所が既に飽和しているのである。だからこそ、今この目の前に屑は存在しているのではないか?
それを捨てるにはやはり、先に捨てる場所を確保してやらなければならない。それをやる労力が不足しているのだ。
ところで、今、世界にはゴミ同然の様に扱われている人がいる。それはゴミの様に扱われているが決してゴミではない。だとすると問題は扱われ方ではない。一見ゴミの様でも、実はゴミでないかもしれないのだ。役に立たない屑かもしれない。
では、何をもって屑だとすればいいのだろうか?
今、私の目の前の状況を詳しく説明しておこう。

  1. 私のパソコンの横に紙屑が存在している。
  2. ゴミ箱がすでに飽和している。

私は、この紙屑をどうやってゴミ箱に捨てるべきであるのか?それは果たして捨てても良いものなのだろうか?

アイという素晴らしきもの

人は誰かを愛するものである。
愛は本当に素晴らしき美しいものなのだろうか?生物にとっての愛とは美しさとは無縁なものではないか。それは単に子孫を残すためにインプットされた生物の悲しきサガではないだろうか。それは本来無機質なものであり、美というものではあっていいのだろうか。動物園の猿が交尾しているのを美しいと感じる人がどれくらいいるのだろうか。
と、そんなことはどうでもいい。私が知りたいのは「I」だ。この直線的な美があなたに分かるだろうか?洗練された直線美。これが意味するものが「私」ということ。これ程美しい字があるだろうか。
愛よりIは美しい。

決して流されてはいけない

時代の流れというものは正しく川のように凄い速さで流れている。日々、状況は目まぐるしく変化し、技術は進化し続けている。
川に入った時は注意しよう。流されてはいけない。


たまには、何でもないことを大げさに書いてみるのも面白いのではないでしょうか。