ブログと会話の思考の違い

ブログでは凄いのに現実はダメだというギャップがある
http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20080511/1210467024これを読んで考えた事を少し書いてみる。

文章による反応と会話による反応の違い

ブログを書くためには、それなりに考えるための時間が与えられる。誰かの記事に対してコメントするにしても考える時間が長い。もちろん日常生活でも思考は張り巡らしているだろう。しかし、誰かの記事に対して反応を見せる、誰かに何かを伝えようとするとき、考える猶予があるのだ。メールなども同じだ。相手に反応するまでのタイムラグが大きい。一方、実際に誰かと会って話す時はそれほど時間が与えられない。当然会話は、理論よりもより直観に近い思考になってしまう。なぜなら、直観による処理は早い。一方、ブログ等はあまり直観で書くことが少ない。理論を展開させるわけだ。
つまり、会話は右脳を多様するのに対して文章は左脳を主に使用することになると考えられる。思考の質が違うのである。

今日、マック行ってきたんだけどさ、お腹空いてたからメガマックマックポークを同時注文したのさ。
ポテトも山盛り、ばっちりコーラのMサイズも頼んで。
でもって、勢いに任せて全部食べたけど当然多すぎて帰るまで吐きそうで困ったw

http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20080511/1210467024

という文書は会話の様な文章である。理論的な文章ではない。描写である。主に右脳によって考えられ得る文章でもあるのだ。

本当に自分がこの手の文を書き慣れてないなと痛感します

既に左脳で書く癖がついてしまうと、右脳を働かせるのは難しいのではないか?


頭の中で使っている部分が違うとすれば、ブログと実際に会った時とでギャップが生まれても不思議ではない。
ブログでは凄い人、現実だけで凄い人がいて然るべきである。


ひょっとするとプログラムとブログのエントリを書く時の頭の使い方は似ているのではないだろうか?

最後に

右脳・左脳と便宜上、直観と理論で分けたわけだが本来は

脳機能局在論でよくある非科学的俗説として右脳・左脳論がある。これは左側が言語や論理的思考の中枢であり、右側が映像・音声的イメージや芸術的創造性を担うとし、例えば理屈っぽい人物は左脳優位、芸術肌の人物は右脳優位だとする説であるが、単純かつステレオタイプな解釈であり、そのほとんどは科学的な知見からかけ離れた通俗心理学に類するものであると批判されることが多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%84%B3#.E5.8F.B3.E8.84.B3.E3.83.BB.E5.B7.A6.E8.84.B3.E8.AB.96

ということらしい。
ただ、思考における得意分野の違いによって生じるギャップはあるだろう。