エゴと優しさ。優しき私になるために。

私は、限りなく「エゴイストだ」というのは、この記事を見てください。
誰のためでもなく自分のために。 - ペン君流ことわさ日記。
私は、自分のためにしか、生きられない。そういう人間だ。


だが、私は、優しい人間でありたいと望む。
「そもそも、優しさとは何か・・?」ということを、よく考える。私にとっては、「自分のために、相手には良くなってもらいらいたい。」と望む相手のエゴに、応えることだと私は考えている。逆に私にとって、相手の優しさも同じだ。「相手に幸せになってもらいたいと願う。」私のエゴに応えてくれることだ。


少しややこしくなったかもしれないので、例を出しておく。第3者になったつもりで書く。Aさんが、Bさんが崖に落ちそうになっているのを助けたとします。Aさんは、Bさんに助かってほしいというエゴに対して、Bさんは助かるということで、そのAさんのエゴに応えた。Aさんは、Bさんが考えた「Aさんは私に助かって欲しいと考えている。」というエゴに応えて助けた・・。
 簡単に言うと、確かに、両者は自分のエゴに対して行動しているが、その両者のエゴの先に、「相手のため」という、無限ループが発生する。
始点は、エゴだが、終点は限りなく先の、相手のためになると思うのだ・・。それこそが、私の考える優しさだ。


「優しさ」とは、そもそも、両者一対になって存在すると思う。
だからこそ、私は、私のエゴに応えてくれる相手のために私のエゴはありたいと思うし、相手に感謝をするのだ。聞く耳を持たないものは、すべて、おせっかいになってしまうと思っている。
 両者が互いに、思いあうかどうか。それこそが、一人よがりの「エゴ」か「優しさ」の違いだと思っている。