テラ豚丼から食を考える。

テラ豚丼には、一頭の豚の死体が入っております・・。
人は他の生物を犠牲に生きている。そのことは、周知だし、言及するつもりはない。


私にとって、テラ豚丼自身は気持ちのいいものではない。
しかし、テラ豚丼によって、無駄になった生物たるものは、吉野家の残飯処理として捨てられる豚のうち、どれほどの量だろうか・・?
ほんの、まさしくほんの米粒にもみたいない量である。そのことを考えると、現代の社会で、それほど大きな問題だとは、思えない。というのが、私の考えだ。ここで、限定したいのは、現代の社会そのものだ。テラ豚丼を問題にする前に、無常にも捨てられていく残飯たち。その他、食品業界がいかに、食品を無駄にしているかは、容易に想像がつく。食に対する軽率さ・・。
仮に吉野家がこの豚丼を非難するのであれば、私は吉野家が多くの豚を残飯として捨てていることを非難しようと思う。
それは、吉野家がこの社員を責める行為は、食に対する考え方からではなく、
単に企業イメージを下げたから責めるという、吉野家のエゴだと考えるからだ。
大量生産された吉野家の食べ物の中に、まだ食べられるのに捨てられてしまうものが、一体どれほどあろうか?私は、それを吉野家に問いたい。