文章のプロが100年懸けても書けないブログを考えてみた。

 プロとして人気が出てくるとどうしてどうしても色々な面で洗練されてしまう。小島よしおも洗練されてしまった。個人的な見解かもしれないがあの素人臭い未完成な部分が人気が出てからというもの無くなってしまった。彼はもう昔の未熟故の面白さは決して手に入れることができないだろう。「そんなの関係ねえ。」あれはまだ認められていない一人の芸人だからこそ面白かったのだ。先輩芸人や大御所の方に向かって吐くからこそ面白かったのだ。ネタとして認知されて場がそれを受け入れてしまっている今、あれは昔ほどの面白さはもう出せない。あのネタをしても良いという雰囲気が既にそこにある。昔の無礼さがそこにはないのだ。
 それと同じ様にアルファブロガーになってしまった人は売れる前のブログを書けるのであろうか?未完成で荒々しい。が、それ故に勢いだけは負けない。そんなブログを書けるのだろうか?
 必死で誰かに見て欲しいと望み無我夢中で自己アピールしているある意味痛いブログ。有名人だろうが、お偉い人だろうが世間の冷たい目だろうが、お構いなしに、「どんな事も関係ない。」と言い切れるブログを書けるのだろうか?理論的な文章ならまだいい。感情だけをブチマケル様な文章が書けるのだろうか?
 プロが100年懸けても書けないブログ。仮にあるとするならば、昔の小島よしおの様に空気を読むことを考えないブログかもしれない。
 プロには書けないブログ。その中にはプロになっては面白くないブログが眠っている気がしてならない。