id:○○(中)とid:○○(外)-「これは小説です。」メソッド-
ブログ上で自分の体験記を書く人がいます。ブログ上で一人称で小説を書く人がいます。前者をid:○○さん、後者をid:××さんと書きます。「記事の読者から見て両者の違い。」について考えてみた。*1さらに両者の記事を記事〇〇、記事××と書くことにする。
実際にはあり得ないが両者が同様の記事を書いていることとして考える。
仮に各々が「これは私の実際の体験です。」「これは小説です。」と発表していたとする。
id:○○さんはよくできた作り話だと馬鹿にされる。id:××さんは良くできた小説だと称賛される。といった現象が起こりうるのではないか?片や称賛で片や誹謗だ。文章が同じにも関わらずこの感想は一体どこから来るのであろうか?各々が発表しているフィクションかノンフィクションかどうかは読者には証明できない。
この記事は実際には両者とも体験記かもしれないし小説かもしれない。
体験記として見れば嘘くさい。小説として見れば素晴らしい。それだけの事である。
記事の内容が一般的な常識と少しかけ離れていた場合。
「記事○○を書いた人は頭がおかしい。」「記事××を書いた人は頭がおかしい。」
という読者が多く登場すると思う。
さらに
「記事○○を書いた人は素晴らしい。」「記事××を書いた人は頭がおかしい。」よりも「記事○○を書いた人は頭がおかしい。」「記事××を書いた人は素晴らしい。」の方が多いのではないか。
記事の一人称の主人公が素晴らし過ぎた場合はどうか?言うなれば正義の味方だ。
「記事○○を書いた人は素晴らしい。」「記事××を書いた人は素晴らしい。」
となるのであろうか?
「記事○○を書いた人は気持ち悪い。」「記事××を書いた人は素晴らしい。」
の様なことになり得るのではないか。
ここで両者の記事について記事の中の人と記事の外の人が読者の中で交錯しているのではないか。
上で書いたように読者が判別できるのは記事の中身の主人公についてだけである。実際に書いている人を類推はできても正解ではない。
ここで読者が感じる○○さんと××さんを表にしてみる。
記事を書いた人 | 記事の主人公 | |
---|---|---|
○○さん | 気持ち悪い | 素晴らしい |
××さん | 素晴らしい | 素晴らしい |
小説ですと発表した方が記事の内容とその主人公における読者の印象が一致する。
人は疑い深い性質である。
「これは私の実際の体験です。」と書いた場合に疑うのは本当に実体験であるかどうかということであり、
「これは小説です。」と書いた場合に疑うのは本当に小説なのかどうか
ということに由来するのではないか。
「これは小説です。」メソッド
「これは小説です。」と前もって発表する。
自分の実体験を書く場合、あらかじめ「これは小説です。」と発表しておいた方が記事の内容の主人公と記事の中の人との印象が一致した結果が得られるのではないか。
「これは友人の話です。」等と前置きすると「本当はあなたのことなんでしょう?」とツッコミたくなる現象と同じである。
だとするならば実際に自分の話を聞いて欲しい場合「これは小説です。」と前置きすべきなのではないか。
「本当の話なんです。信じてください。」と書けば書くほど嘘に見える。
これ本当の話なんです。信じてください。
*1:正確には考えながら書いてみた。