ブログ・ここまで「捏造」するかid:penkun

度を超えたマスコミの捏造と情報操作。一般の投稿ですら操作を求める。
投稿者に意味の改編を要求する。本人の意図しない文章はもはや本人の文章ではない。意図が違うベクトルを向いている場合、それは似ている似ていないに関わらず全くの別ものである。
それは以下のような改編を行うようなものである。朝日新聞に投稿される予定であった、「朝日新聞の記者の記事」を私が最終稿を掲げてみた。

朝日新聞記者の最終稿)

改革の痛みは返上をしよう

 ここ数年、政治の世界では「改革」という言葉が錦の御旗のように掲げられて、多少食傷気味である。戦後わが国は平和の道を選び、廃虚から立ち上がって豊かな中流社会を築いてきた。そこにはそれなりの理念があったが、改革は格差社会を作ってしまった。
 「構造改革には痛みを伴う」と小泉前首相は改革を進めた。痛みは、深刻な格差社会を生んだ。しかしながら、郵政解散では自民党が大勝する。多くの国民は痛みになんとなく納得したようで無力感を感じた。そして、先の参院選でやっと痛みの後遺症に気づき始めたのだろう。
 今回の自民党の総裁選ではどうだろう。福田康夫官房長官は「格差が開きすぎるのは弊害だ。ただ、改革は続行する」。麻生太郎幹事長は「構造改革によって生じた暮らしの不安と格差の解消を急ぐ」という。
 痛みを伴わない改革か、その言葉の意味を吟味したい。そして、痛みをきっぱりと返上しよう。このままでは格差は拡大、そして固定化されてしまいかねない。
(「構造改革.......」以下は書き直された部分)

id:penkunの最終稿)

スイーツの甘みは返上をしよう

 ここ数年、お菓子屋の世界では「スイーツ」という言葉が錦の御旗のように掲げられて、多少食傷気味である。戦後わが国は平和の道を選び、廃虚から立ち上がって豊かな中流社会を築いてきた。そこにはそれなりの理念があったが、スイーツは暴食社会を作ってしまった。
 「スイーツには甘みを伴う」とお菓子屋さんは改革を進めた。甘みは、深刻な暴食社会を生んだ。しかしながら、バレンタインではケーキ屋が大勝する。多くの国民は甘みになんとなく納得したようで無力感を感じた。そして、先のホワイトデーでやっと甘みの後遺症に気づき始めたのだろう。
 今回のケーキ屋のチョコレートではどうだろう。駄菓子屋は「体格差が開きすぎるのは弊害だ。ただ、スイーツは続行する」。クレープ屋は「スイーツによって生じた暮らしの不安と体格差の解消を急ぐ」という。
 甘みを伴わないスイーツか、その言葉の意味を吟味したい。そして、甘みをきっぱりと返上しよう。このままでは体格差は拡大、そして固定化されてしまいかねない。
(「スイーツ.......」以下は書き直された部分)

朝日新聞はこれを認めますか?

参考記事