ゆとり世代の天国と地獄

 ゆとり世代は格差を産む。ゆとりは天才を産む。それと同時にバカもたくさん産む。それが私の自論だ。
以下「ゆとり式」と「詰め込み式」の問題点を考えてみた。その差は「できるやつかできないやつか?」だ。

ゆとり式

できるやつの場合

 これは天国である。
そもそも勉強のできる人というものは詰め込む必要がない。自分のやりたいようにやりたいことをする時間が増えるのである。これほど嬉しいことはないだろう。多くの場合(これは経験だが)、本質的にできる人というものは他の様々なことに興味を持っている。興味があるため時には勉強にせいを出すこともあるだろうし、他の趣味に力を注ぐこともあるだろう。たまたま勉強に力を注いだ場合学力優秀になる。いずれにせよ自由に考える時間を必要とするのである。そうすることでその能力は開花する。これが日本の学問の頂点を引き上げる人種になる。

できないやつの場合

  これは地獄である。
「そもそも何をしていのか分からない。」というのができない人である。興味が上のできる人よりも決定的に少ないのだ。そのような人種にゆとりの時間を与えるとどうなるか?自分で考えて行動することができないので結局時間だけを無駄に過ごし、相対的に学力は低下してしまう。そのような人種が日本には少なくはない。これが日本の底辺を引き下げる。ここで興味を湧くものを発見できた場合できるやつに移行する可能性はある。しかし、何もできずに終わってしまうのが現状ではないか?これが今のゆとり問題。

詰め込み式

できるやつの場合

  これは地獄である。
やりたいことをできない。やりたくないことをさせられることは多くの場合やる気を失くす。たまたま詰め込みの対象と当人の興味が一致すればその才能は開花するだろう。しかし、それらが一致する確率は極めて小さい。やる気を失くしたできるやつは、本来の能力を出すことなくできないやつと世間に認められることになる。故に頂点が育たない。技術的な分野では多くの場合一握りの天才たちが担っていることがほとんどなので結果として日本の技術力の力不足に陥る。これを懸念したのがゆとりを実施する前の思いではないだろうか?

できないやつの場合

  これは天国である。 できないやつと言っても無理やり詰め込めばそれなりには習得する人も出てくる。しかしできない上に詰め込まれる立場からすればそれは非常に苦しいものであり、非行が増加する可能性が高いのではないか?しかし、相対的に見て底辺は底上げされる可能性を秘めているということで天国に分類させていただく。

まとめてみる。

  1. ゆとりは天才は増えるがバカを増える。
  2. 詰め込み式は天才は減るがバカも減る。

そこで

  1. 自発的に自分の興味に従い行動する人間はゆとりとして育てる。
  2. 自発的に行動しない人間は何かに興味を抱かせるため多種多様なジャンルのものを詰め込む。(深くではなく広く)

私は教育について詳しく勉強したわけでもないし、現場も知らない。
しかし、このような教育を行えばイイのではないかと私は考えるのだがいかがだろうか?