嫌われている人を公表すれば嫌う人が増えていく

05年4月、当時千葉市立の小学校4年生だった男子生徒の担任教師が、クラス内で「好きな人と、嫌いな人」の実名を全員に書かせたとされる。教師が1週間後に、公表するかどうか子どもたちから多数決をとったうえで一番嫌われている人としてこの男子生徒の名前を発表。これを機にクラスメートからいじめを受けるようになったという。

http://www.asahi.com/national/update/0510/TKY200805100057.html

明るみに出てこない裏はありそうだが、この記事を素直に信じた上で考えてみたい。

クラスで一番嫌われていると公表したことによりイジメに発展した。

「発表されたことによりイジメになった。」と言う事を考えれば、嫌われてはいるがイジメはなかったわけである。人はそれぞれ好き嫌いがある。それは当然のことである。このクラスの生徒に関しても同様である。多かれ少なかれ、好き嫌いというのは必ず偏る。クラスの生徒が一人ずつ好き嫌いを書いた場合に、一人一票ずつの「好き」と「嫌い」という票を得るのは現実的にあり得ない。このアンケートを実施した時点で一番嫌われている生徒は必ず登場するわけである。
 ここで、私がこの記事に関して気になるのはこのクラスは元々どのようなクラスであったかである。仮に生徒同士の仲が良いクラスであったとしてみよう。私は、仲のいいと言われるクラスというのは、好き嫌いが表面化しないクラスだと思うのである。当然、そこにいるのは人間であるので好き嫌いは存在している。しかし、それが(特に嫌いであること)が表面化する*1必要は全くない。嫌いである場合の人間の付き合い方の最良は、「あまり付き合わない(無視するということではない)」ということだと思う。
 ところで学校の教育の在り方は非常に間違っていることが多い。「嫌い人をどうやったら好きになれるか?」「何故嫌いなのか?」を考えている教師が多すぎる。おそらくこのクラスも嫌いな人を挙げてその上でどのようにしたら好きになれるかを考えていこうという方針だったと思うわけである。好きや嫌いは人間の感情の部分だ。理屈を考えて解決できるものではない。
 そこで、「クラスで一番嫌われていると公表したことによりイジメに発展した。」を考えてみる。人間には集団心理というものが存在している。

アメリカ合衆国で行われた図形の配置など単純明白な事実の記憶に対する質問を行う心理学実験において、被験者はわざと嘘の答えを言うサクラの多数派に同調してしまう傾向が見られた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E5%BF%83%E7%90%86

このクラスを考えると、多くの人間が嫌っているという結果が提示されてしまったわけである。それは少々無理な話である。寧ろ嫌われていることに同調してしまう生徒の方を心配するべきである。

ここで発想を逆転してみる。

嫌われている生徒が、実は好きだという人がいると公表された場合である。(当然、偽りの発表なのであるが。)この発表により劇的に人の見方が変わると私は思うのである。一般的に、嫌われている生徒を他の生徒が見る場合「この人は嫌われている」という目で見てしまうと私は思うのである。これを「この生徒を好きな人もいる」という目で見るように変えていくのである。はっきり言えば嫌われていても良いと思うのだ。
一番嫌われているという公表は、下手をすれば「みんなが嫌っている」という視点からその生徒を見てしまいかねないと私は思う。それにより、嫌いな人が増えていく恐れがあると思うのである。

まとめ

ここで、私の考えをまとめてみる。
1.集団の中で嫌いな人がいるのは当然である。
2.それが共通認識にならないことが望ましい
3.嫌われている人を公表すれば嫌う人が増えていく
4.好きな人がいるという認識を与えることで好きな人が増えていく

*1:集団の中の共通認識とならないことを指しておく