日常生活における記憶と矛盾

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080526/1211763677について思ったこと。

「やはりね。傘を返してくださっても、病気がちの貴女を雨に濡らしてしまっては、生徒会長としてのわたくしの面子というものがたちません」
「でっ…でも、傘が無ければ沙也香様が雨に濡れてしまいます。それではわたしが困ります」

に焦点を絞ってみる。*1

概要

ある日沙也香という主人公がある女性に傘を貸した。その時、沙也香は名前は名乗らずに「学園祭の準備の為に、今は寄宿舎に部屋を借りているの」とだけ伝える。その数日後に教室にこの彼女が傘を返しに現れる。そして、傘を返す彼女に対して沙也香は、この一つの傘で一緒に帰ろうと提言する。そして、二人はともに帰った。
という旨の話である。※詳しくは原文を

上のセリフは傘を返そうとする一場面である。

矛盾とは何か?

何故か彼女は沙也香という名を知っていた。普通に考えれば、沙也香からすれば彼女は名前を知らないと思っている筈である。教えていないのだから。しかし、彼女は沙也香を知っていた。逆に沙也香の方も自分の名前を知っている彼女に対して驚く素振りはない。
これは一見矛盾しているように感じる。しかし、これが矛盾と言えるためには、教えなければ分からないということが前提になる。
この場合に、果たして矛盾と言えるのか。
彼女は沙也香を知っていた。沙也香も彼女が自分を知っていることに気づいていた。とすれば、この矛盾は解消する。

記憶と矛盾

ところで、日常生活においてこれに近しい矛盾は多々経験したことがあるのではないだろうか?知らないと思っていたことを何故か知っているという状態だ。または、どこで知ったか分からないが知っているということだ。人の記憶は限りなく曖昧である。知っている筈のないことを知っているという矛盾が繰り返されている。
人は知らない筈のことを知っているのである。私は知らないと思っている数多くのことを実は知っているのかもしれない。

*1:矛盾は他にもあるのだが、そこは無視する。