いじめがないと思う人は手を挙げてくれ

もう、いい加減教育指導者について呆れているのだが、何度でも考えてみる。

大久保校長は毎日新聞の取材に「学校にいじめは全くなかった。生徒にもインターネットの怖さを教え、ブログなどのサイトを利用しないように指導してきた。自殺は本当に残念だ。原因を究明し、女子生徒の家族にきちんと報告したい」と語った。

これが本当なら教育指導がひどいよな。

1.学校にいじめは全くなかった

何故全くなかったと言えるのか私は不思議でならない。本当になかったのかもしれない。しかし全くないことを証明することはできるのだろうか?可能性として常にいじめはあり得る。学校が把握できない所で可能性は0ではない。全くなかったと言いきれる根拠はどこにあるのだろうか?仮に生徒にアンケートをとった結果や生徒に対する聞き込み程度で「ない」と断定するのであれば、それはいじめに対する認識が甘すぎるのではないだろうか。

2.生徒にもインターネットの怖さを教え、

おそらくこの教師はインターネットの良さも恐ろしさも知らない。インターネットを知るためにはそれを利用しなければ分からない。利用すれば怖さだけが出てくるものではない。良さも当然のように出てくるものである。利用するなという指導から見て、恐らくこの教師は、あまりにもインターネットに対して無知でだったのではないかと私は感じる。(ここは推測だが)インターネットを知るものは、利用するなという指導はしないと私は思う。故に、インターネットを知らない教師が、その怖さを教えるには無理がある。ただの教科書を読んでいる程度の教えだったのではないだろうか。

3.ブログなどのサイトを利用しないように指導してきた。

いい加減目を覚まして欲しいものである。利用しないように指導した、とは具体的にどのような指導なのであろうか?はっきり言って、今の子どもは必ず利用する。利用しないという指導は、生徒に何かしらの問題が起こった時に予め学校側が用意した言い訳にしか聞こえない。何度も言うが、生徒は必ず利用する。放課後全ての生徒を見張っているわけではあるまい。指導すべきは、どのように利用していくかであって、利用するなというのは教育の放棄である。

最後に補足

おそらくこの教育現場の各担任教師からはそれに対する反対の声はあったはずである。全員がこの指導に賛成したとは思えない。
ところで、東京都内では

東京都教育委員会が都立学校の職員会議で挙手や採決を禁じた通知に、都立三鷹高校の土肥信雄校長(59)が「現場の言論の自由が失われている」と撤回を求めている。都立高校の改革に現職校長が異議を申し立てるのは異例だが、都教委は「方針を変えるつもりはない」としている。

※一次ソースが削除されていたのでキャッシュより引用

http://www.asahi.com/national/update/0521/TKY200805210162.html

というニュースもある。もちろん今回の事件は北九州市ということで東京都とは問題は異なるだろう。しかし、校長という立場(特に公立学校)はその年功序列型制度によって年配の人が圧倒的に多いし、当然多くの権利も持っている。ところで、年配ということはインターネットに当たり前のように接してきた世代ではないのだ。そういう人に今の子どものインターネットとの付き合い方とかそういう教育はどうなのだろうと疑問を抱く。また、そういう人に全権を委ねるのもどうかと感じる。そこは若い世代の方が知っていて当然の分野であると思うのだ。校長が悪いのではなく、そもそも無理なのだと思うのだ。
そんな年配の校長に現代のインターネット事情を把握しろというのは酷だろうし無理があると思うし、教育制度を見直すべきだと思うのだが、如何だろうか?


[追記]
この校長は叩かれているけど、この校長を叩いても解決するわけではない。もっと、教育制度から見直すべき必要があると思う。