その理不尽さがゲームを面白しろくしていた時代

http://miruyo.blog38.fc2.com/blog-entry-368.htmlを見ていて感じたこと。

昔のゲームは至るところ理不尽だらけだった

これはおそらく製作者側も気づいていただろ。昔のゲームは理不尽なのだ。例えばあの髭おじさんことスーパーマリオを考えてみよう。

例:スーパーマリオブラザーズ
  1. 戻れない!
  2. ワープすると間のステージが楽しめない。
  3. ステージを飛ばしてしまった場合はまた1ステージからしなければならない。
  4. このキノコ!!
例:ドラクエ
  1. 復活の呪文移し間違えた。orz
  2. (冒険の書がてぃらりら鳴ってる・・)
  3. 次行くところ分からんよ。
  4. 全滅しすぎて金がないわ。


他にもたくさんの理不尽なところはある。理不尽だらけなのだ。ましてやソフトだけの問題でもない。

  1. コントローラのボタン凹んで聞かなくなった。
  2. おい、この難易度むず杉ってが不可能。
  3. こりゃ簡単すぎるわ、、どうやったら難しくなるだろうか?
  4. あっという間に画面の色が変わってピーとなって、終了。
  5. 電源プチあああ、テレビ画面がざーーー。
  6. ちょ、、まだセーブしてないのに、「ゲーム止めなさい」て・・。


※隠れた名作クラスになると理不尽さは膨大する。

ゲームの本当の面白さは理不尽との戦いにある

後の名作と呼ばれる作品にも数限りない理不尽が詰っていたのである。まさに今と比べるとカオスなソフトばかりだ。ところでその、理不尽と闘った記憶はないだろうか?極端なところでは絶対に倒せないはずのボスキャラにひたすら挑んでみたりなどだ。
人は理不尽なことを見つけると無意識に戦ってみたくなるのだ、
バグ探しや裏技探しにやっきになっていたのもそういう昔のゲームではなかろうか?ゲームに予め理不尽な部分を埋め込むことで何かしらの新しい面白さを発見することができるのだ。
最近のゲームはユーザを型に嵌めすぎる。自由度の高いということが売りのゲームにしても、ほとんどが製作者の手の中に存在している自由度である。本当にゲームとして面白くなるのは、予め想定されたその理不尽に立ち向かう時、つまり製作者の意図を打ち破る時ではなかろうか?最近のゲームって理不尽なだけでユーザから叩かれる傾向にあるけど、その理不尽だらけもゲームを面白くする要因だと思うのだがな。
最近のゲームにはそういった面白みが欠けているとしたら、それだけ製作者サイドが熟成しているとも言えるのだが。


そういえば小学生のころ友人と「どちらが先にクリアできるか」を競っていて、途中で私のセーブが理不尽にも消えてしまったことがあったな。その消えたところまで取り戻す時は結構面白かった。メッセージなんて読まなくていいし、ただ友人に追い付こうとするのに必死だったから、面白かった。