今後必要になる「知識」の在り方を考えてみた
最早「知識」なんて持っていても意味がない。何故なら検索エンジンで調べれば分かるではないか。という意見を持つ人がいる。
そこで、今後の知識の在り方を考えてみる。(文章、考えが纏まってないかも。)
概念としての知識
「関ヶ原の戦い」というものをキーワードに考えてみる。果たしてここで必要な知識は何か?「関ヶ原の戦い」等と言う名称は最早覚える必要はない。覚えることは、「関ヶ原の戦い」という名称に辿りつくための概念である。どんな戦いだったか?ということさえ分かれば「関ヶ原の戦い」という言葉を導き出せるわけである。そこには一切の名前も必要ない。「日本で東と西に分かれて争ったこと」これで構わない。要は名称ではなく、どんなものだったかを覚えておけば答えを導くことができるわけである。
何故、概念としての知識が必要か?
それではこういう問題を考えて欲しい。
「関ヶ原の戦いを題材に全く新しい商品を考えなさい。」
次に考えるのが上の様な命題である。つまり、何かしらのアイデアを出しなさい。という命題があったとする。そこで必要なのが概念としての知識である。それは、「関ヶ原の戦い」に関する知識ではない。これに結び付けられるような概念を持ったものがないかを考えるわけである。所謂、連想発想法である。
まず、初めにすべきことは「関ヶ原の戦い」について調べることであろう。それはインターネットで検索すればすぐに得られる情報である。では、その次に考えるのは何であろうか?そこで必要になるのが概念として、自分の中に蓄えた知識ではなかろうか?「関ヶ原の戦い」をテーマに様々な概念を組み合わせていくのである。ここで必要なことは、名称ではない。どんなものだろうか?という概念である。
もし、検索エンジンだけで済むのであれば、「関ヶ原の戦い」の後に続くキーワードは何であろうか?ここで、もしキーワードが浮かぶのであれば、それは検索エンジンではなく自分自身の知識や経験から出てきた言葉ではあるまいか?
知識や経験は新しいものを生み出すためのヒントである
何か新しいものを生み出す際、何かしらの知識や経験が必要になると私は思っている。全く新しい発想のものは、検索エンジンにヒットしない。それは当たり前だ。ヒットするような発想は新しくもないわけだ。