人生は「過程」か「結末」か?(小説執筆者募集!!)


人生において大切なのは「過程」か「結末」かそれとも?
〜もしも「結末」を知ってしまったら、あなたはどう生きますか?〜


と題しまして小説を募集します。

募集要項!!

  1. 「主人公は、ある日ある出来事をきっかけに、自分の死に際を体験してしまう。」
  2. 「自分の死に際の体験は、絶対に変えられない。」

という条件の主人公の生き様を小説にしてください。主人公の設定、どうやって死に際を体験するのか。その辺りは自由設定で構いません。
主人公を今の自分に置き換えてもらっても、仮想人物を想定してもOKです。

募集期限

10/5までとさせて頂きます。

募集にあたって

  1. このエントリにトラックバックしてください。
  2. 小説を書く前もしくは書いた後に、人生の「過程」と「結末」に対する思いなんかがあれば尚歓迎。
  3. 課程よりも結末より、死後を重んじるという考えもありです。

例文

タイトル:過程を生きる人生

 私がこの事を知ったのは17歳の時。それは、ちょうど私の母が亡くなった時でもある。そのころから私は「生きる」という意味について考え始めた。私には特殊な能力がある事を知ったのはちょうどそのころである。その時、私はいつもの様に「生きるとは何か?」を考えながら街を歩いていた。横断歩道の向こう側から歩いてくる少女。私はその時、少女と何故か目が合ってしまった。今となっては、何故かは分からない。偶然だったのかもしれない。少女と目が合った時、私の目の前に広がる痛み。群がる人の声を聞いた。「最後に一度だけ会いたかった。」これまた何故だか分からない。私はその時、そう思ったのである。そして、そのまま意識が消えていった。私はまるで別の人物になったようであった。そう、まるでその少女の様な人物。気が付くと、私の目の前には先ほどの横断歩道と向こう側に少女の姿があった。何か夢のような体験。そう思って貰えばいいかもしれない。次の瞬間、車の急ブレーキの音がした。それと共に鈍い音。私と目の合った少女は、遠くに飛ばされ血まみれになっていた。その後、救急車で運ばれ、少女はそのまま命を落としたというのを知ったのは、私が家に帰ってテレビのニュースを見たときである。
 それから、私は嫌と言うほど似たような経験をした。誰かと目が会うたびに何か夢に似た体験をする。それは、決まって誰かの死に際であった。嫌、死に際に思えたという方が正確かもしれない。目の合った人の中には、様々な人がいた。その中には今でも元気に生きているおばさんもいたりするし、それほど気にはしていなかった。ただ、テレビを見るのが怖くなった。私が体験したものと瓜二つの死に方をする人物が次々に出てきたからである。その時、私は自分の能力を知った。目を合わせると、その人の死に際を体験してしまうことを。私は、自分のこの能力を恐れて体験した人物の死を変えようとしたこともある。しかし、どれも無理だった。どうやら死は、運命の様に決まっているらしい。
 そんな私が今までたった一つ避けてきたことがある。それは、鏡に映った自分の目を見てしまうことである。そう、自分の死に方など知りたくなかった。知らない方がいいと思っていた。しかし、私は不運にも鏡をみてしまった。決して見るつもりはなかった。自分の死に方など知りたくはなかった。その時、私はそう思った。
 そう、私は自分の結末を知っている。どうやら私はもう少しは生きているらしい。今、自殺を計っても私は死ねないだろう。今は、私は死ぬまでどうやって生きるか?そればかり考えている。結局何をしても変わらない私の人生。それをどうしろというのだろうか?
(つづく)


と言う感じで書いて頂ければよろしいかと思います。
これに続けてももちろんアリです。
新しく書き始めても構いません。

コメント

私自身は、人生って「結末」在りきだろうな。と思ってみたりもします。
「結末」を知らなければ、人生の意味は「結末」に含まれるだろうと思うのですが、「結末」を知れば「過程」に意味を求める。そんな感じです。

(事前情報?)

小説だったらid:ululunが釣れます、多分www

http://d.hatena.ne.jp/penkun/20080926/1222447782

と書いて頂いておりますので、


id:ululunさんはきっと参加してくれる筈ですww


参加者お待ちしております。
※参加人数2人以上の場合に限り当ブログでまとめさせて頂きます。