人生は「過程」か「結末」か?(締め切り)

はじめに

人生は「過程」か「結末」か?(小説執筆者募集!!) - ペン君流ことわさ日記。を締め切らせて頂きます。

ご参加いただいた方々へのお礼
  1. 星新一先生風小説「死に際」 - karimikarimi
  2. ツキノツバサ | かみさまごっこ

ご参加ありがとうございます。
双方とも面白いので是非読んで頂きたい。

「人生は『過程』か『結末』」に関する私の思い

当然ながら現実世界において結末を体験することはできません。死の宣告を受けた方に関しても、完全な結末を知ることはできません。今現在、過程にある状態である限り結末を変えることができると私は考えてます。
そこで、あえて「結末」を先に体験する。ということを考えてみました。もし、私が先に結末を知っていたら?ということです。
私が考えたことは主に二通り

  1. 結末を知っているので、生きている意味がない。つまり、その場で死を選びます。
  2. 結末を知っていても過程を楽しむことはできる。つまり、生き方は変わらない。

上記の1番に当たるのが「人生=結末」の考え方。
2番目に当たるのが「人生=過程」の考え方に当たります。


仮に、現実の世界で「結末」を知ってしまった。そして、それを意識しながら生きていく。ということをすれば、おそらく矛盾が生じます。何故なら、「結末」を知らない自分と「結末」を知った自分では、生きる過程は変わってくる筈です。過程が変わるとどうなるか?「結末」が変わります。結末というものは、常にその「過程」により定まるものだと私は考えます。本来、結末だけを固定することはできない事です。それを無理やりに固定したことにこの小説の難しさがあります。ご参加頂いた小説は、特殊な環境下にある人間です。では、そうでない自分という存在が仮に知ってしまったら。どう生きるのでしょうか?それとも、生きることを放棄するのでしょうか?


私の思いは、結末がどういう結果であろうと今という過程を楽しむことはできるということです。結末が最悪と分かっていようが、過程を楽しむことはできます。その積み重ねられたものが結末に過ぎません。結末から生き方を考えるのではなく、過程の結果として結末を考えみる。それも生き方ではないかと思います。もちろん、結末を目標に過程を生きるのも生き方だと思いますが。

最後に

人生は「過程」か「結末」か?という課題は引き続き同テーマを題材に小説募集企画を考えております。
その際はぜひご参加ください。


と、その前に軽い息抜きでもしますか?新しい小説募集企画やります!!
今日中にはエントリを起こします。
10年後、あなたはどんなエントリを書きますか?(小説執筆者募集!!) - ペン君流ことわさ日記。
是非、皆様ご参加をww