アクセス数に関する私の考え:アクセス数を気にすることは悪いことか?

はっきり書きます。

  1. 私はアクセス数を気にして書いてます。
  2. アクセス数のための記事は書いておりません。


どうも、これを勘違いする人が多すぎる。「アクセスを集めるために記事を書いているのではない。しかし、アクセス数は気にして書いている。」これを矛盾してる。そう考える人もいるかもしれない。しかし、私にとってこの考え方は矛盾していない。


私が考えているのは、どうやったら「同じ内容でアクセス数を集めることができるか?」ということである。書きたい内容は、書き始める時に概ね決まっている。
これを如何に、広めるか?どうやったら多くの人に見てもらえるか?それを考えることは果たしていけないことであろうか。
RSSの購読者の方を気にする。という人がいた。それも一つの考え方である。購読者が増えるということは、私にとっても嬉しいことである。では、見ても貰えないのに購読者が増えるなんてことが果たしてあり得るのか?アクセスが多いということはそれだけ、購読者を増やすチャンスでもある。
少し前に

「頭の良さだけでは人生の価値は決まらない。
同様にアクセス数だけでブログの価値が決まるものではない。」


と書いた。今でもその通りだろうと思っている。
しかし、頭を良くする努力をすることは決して悪いことではない。また、頭が良いことも決して悪いことでもない。
どうやら「それだけでは決まらない。」という言葉を勘違いしているようである。
私に対して皮肉を言う人間は多い。

  1. 「アクセス数のためだけに書いている。」
  2. はてブを稼ぐためだけに書いている。」

これは全く私を理解していない人間の言うことである。私はこの発言を気にはするが、的を得ていない。気にするのは私も人間なのでしょうがないと、私は半ば諦めている。
自分の書いた内容にどれだけ人を集められたかを気にするのがいけないことなのだろうか?


選挙運動の演説で多くの人が集まっている候補者を見て、あなたはどう思うか?
「人を集めるためだけの口先だけの候補者だな」
「私が気にするのは投票者だけだ」
とでも言うのだろうか?


個人ブロガーとして、
人を集めるだけに記事を書くのは愚の骨頂と言えるかもしれない。
一方、
記事を書くことによって人を集めることは決して愚の骨頂ではない。
それが私の考え方だ。

余談

タイトルと中身が異なる場合に「釣り」と呼ぶ人がいる。これは、人を集めるためだけの手法かもしれない。しかし、それを言う前にまず中身について考えてみるべきだと私は思う。
「釣り」をしてでも読んで欲しい理由がそこにあるかもしれないからだ。
読んでみてから、その文章が無駄だと感じるならばそれは「釣り」であろう。


読んでみてその文章に何かを感じたならそれは、「釣り」と呼ぶべきではない。
良き文章に出会えたと感じるべきところである。