私が生きている今日はどんなに意味があるだろう。

 落ち込んでいる時、傷ついている時に人の立派な人生論など語られてもこれっぽっちもやる気など湧かない。
むしろアドバイスなど聞きたくもない。偉そうなアドバイスなど嬉しくもない。落ち込むか頭にくるかの二者択一だ。そもそもアドバイスなんてものはアドバイスされる本人がやる気のあるときにこそ一つの情報としてありがたいものであり、落胆しているやつにアドバイスをするなんていうことは、飢えで死にそうなやつにお寿司を美味しく食べる方法を教えるくらい馬鹿げてる気がする。飢えで死にそうなやつが欲する者はアドバイスではなくて食糧だ。人生に落胆してるやつにできるのは人生をより楽しくする方法ではなく人生の意味そのものだ。
アドバイスなどというものは食糧を手に入れる活力があるやつにすべきものであって、活力のない者の活力を生み出すものではない。
活力のあるやつに対するアドバイスはすばらしい。ない者に対するアドバイスは凶器だ。


そんな私が落ち込んだ時に自分に対して思うことがある。
「私が生きている今日はどんなに意味があるだろう。」
他人にとって私は生きている意味などないのかもしれない。いつ死んでも関係ないのかもしれない。
しかし、ただ唯一私個人にとっては、
「生きていること」に大きな意味がある。明日もとりあえず生きてみようかなと思うのである。
とりあえずでも生きているってすばらしいじゃん。と思い返してみるのである。