いじめが多い?あまったれんじゃねぇ?

殺人なことについてはあまり見ない性質な人間なので、殺人論は追ってなかったんですが、あまりに多いんで、いくつかのエントリを読んだ上で、俺の殺人について思うことを投下。

だいぶ昔、戦争という人殺しがありました。


殺人


ちなみに今は数千人という表示になってますが、これ、カウンタ一周してますからね(笑。つまり1億飛んで20人ですぜ。1945年といえば、俺も戦争の世界に触れ始めた当時だったので、この戦争の影響をもろに受けています。この話はいつかするとして、今は人殺しと結びつく話をします。戦争の仕掛け人、×さんは自身の人殺しにおいて、自分に向けて振り下ろされる銃について語っております。

 現在、戦争はちょっとした人殺しよりも多くの閲覧者を抱えていますが
 もうこの規模になると殺人の無い日ってのはまずありません。


 空爆、ウイルス、虐待、毎日当たり前のように繰り広げられます
 最初の頃は、心が壊れる寸前まで追い込まれましたが
 徐々に開き直り、心に防衛線を張れるようになります
 まぁ別名やせ我慢ともいいますが。

これを読む限り量については判らないんですが、質を考えるだけでも昔のほうがドきつかったんだなって思います。だって今は包丁しかないんだもの。昔は、ウイルスとか空爆とか届くんでしょ。戦争体験者の×さんは、それほど兵器について詳しかったわけでもなく、すなわち防衛策もそれほど出来てたわけではないと思います。そんななか届くウイルスとか空爆とかを考えると、それらの悪意の殺人性は今とは比べ物にならないんじゃないかなと思います。俺だったらそんな中やってられません。


それに戦争記事をみればわかりますが、当時の人殺し感、当時の自分の虐待はやばいですよ(笑。いや、ホント。いじめが子供に見えてきます。あれだけ、生な自分を弁護していれば、当然賛否両論あるわけです。虐待の量も質もものすごかったと容易に考えられるんですよ。あ、あくまで自分のいじめ度に対して言ってるのであって、今のいじめがしょぼいと言っているわけではないのであしからず。


だから、社会っていじめ多いよね、とか聞いてると、ハッキリいって甘いなとしか感じません。だって、大したことないじゃん。量だって少ないし、質だって悪意がない。うちの学校だっていじめはあります。でも、それらのいじめは、顔が悪いとか、そういう相手のためを思ったいじめだったりするし、大勢の養護にまぎれたいじめだったりします。そういうタイプのいじめってむしろありがたいものなんじゃないですかね。相手のためを思ったいじめであれば、自分を成長させるチャンスですし、いじめだったとしても、調子乗りかけた俺に水をぶっかけて冷静さを問いもどしてくれる存在なわけで。すくなくとも、包丁突きつけられるとかそんなレベルのものじゃないんですから、この程度のいじめであれば、きちんと受け止めましょうよ、と俺は言いたい。


むしろ、俺ら今の時代で平和でのうのうと生きている俺たちにとっては批判はいい成長剤でしょう。受け止めていきましょ。

「より酷いモノがあるから今のことは大した問題ではない。」
そういう理論を私は知らない。
ネガコメは相手のことを思って書いている。」
そんな話を私は聞いたことがない。