船場吉兆に見る高級食材のジレンマ

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080502/crm0805021423026-n1.htmについて考えてみたことを書いてみる。

前置き:外食産業として許されることではない。

 これは当然、日本の社会的に許されることではないだろう。特に高級料亭であれば、御もてなしの場としても利用されているだろう。
それが使い回しされた物が出てきていると知れば当然だが、利用客はいなくなる。一種の詐欺としても成立するだろうと、私も思う。

1.他の安いチェーン店と比較できることかどうか

 「ファミレスでもそんなことはやらない。」という意見があるが、ファミレスだからこそやらないのではないか?一般的にファミレスで出される食材は安い食材ばかりである。そもそも残飯として廃棄されることを前提に調理されているものである。捨てられようが食べられようが、全く構わないのものである。つまりファミレスは注文してもらうための料理と言えよう。
ここで、吉兆を考えてみる。そこで出される料理は捨てられることが前提の料理であろうか?食べてもらうために出される料理である。
「出される料理の質が違うものである。」とすると、高級料亭だからこそ起きた問題だとも考えられる。

2.捨てられるいく食材と料理について

 ここで、吉兆で出される料理について考えてみる。確かに使い回しは良くない。それは前置きで述べた。しかし、仮に「捨てられていく食材」の捨てられていく様子を集めた動画があるならば、やはりこの動画にも不快感を覚えるだろう。
数万円の料理がことごとくポリバケツに破棄されていく様子をどう感じるだろうか?
これが本来の料亭のあるべき姿であると思うだろうか?私は思わない。どれだけ美味しい料理を作ろうが毎日の様に捨てられていく料理を平気な気持ちでポリバケツに移す料理人が食材を大切に考えているとも思えない。それを平気な気持ちで捨てられるならば、やはりそれは料理人ではなくてファミレスのアルバイトのようなのだろうなと考えてしまう。
 ただ、それと同時にこれを使い回しでお客に出せてしまうのもやはり解せない。それが出来てしまうのもやはり料理人でないのだろう。この辺りが私にとってジレンマのジレンマである。

3.残さず食える量以外頼むな!この金持ちどもが!

 船場吉兆で出される料理を食べる人について考えみる。つまりお客様だ。御もてなしの場であった吉兆は1人で常食としての利用率は極めて低いと考えるべきだろう。御もてなしに必要以上の量を注文してないだろうかと考えるのである。仮に私が一人で食べにいったとする。それも一回数万円のものをだ。もったいないので出されたものは意地でも食べるというのは、貧乏性だろうか?これを平気でやってのける人物が山ほどいた。という事実は変わらない。おそらく、船場吉兆で残飯になってしまう料理はファミレスのそれと匹敵するぐらいあるのではないかと思うのだ。ほんの少しの量を使い回しした程度で船場吉兆の経営を楽にするとはどうも考え難い。
出された残飯に文句を言う前に残飯を出すなと私は思う。それは、ファミレスのそれと同じ感覚で残してもいいものなのだろうかと。もし仮に同じ感覚であるならばそれはあまりにも料理人に対して失礼だ。

最後に

仮にこの料理人の雇主が違えばこの料理人は絶賛されていただろうと思う。腕はある。無いのはモラルか?
私は、これを断る勇気とそんな人に雇われてしまった運がなかったのだろうと思う。
だからと言ってもこの料理人が社会的に許されるものではないだろう。責任は社長にあるのだろうが。
もう一度腕を振るえる場所があるのだろうか?その腕が泣いている。