私が感じたうつ病の正体、何故うつ病になるのか?
これは私が実際にうつ病を経験しながら感じたうつ病とは何か?ということについて書いてみる。
うつ病の辞書的な意味
うつ病(うつびょう、鬱病、欝病)とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠などを特徴とする精神疾患である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85
またその成因は主に2種類あって
生物学的仮説
薬物の有効性から考え出されたモノアミン仮説、MRIなどの画像診断所見に基づく仮説などがあり、現在も活発に研究が行われている。モノアミン仮説のうち、近年はSSRIとよばれるセロトニンの代謝に関係した薬物の売り上げ増加に伴い、セロトニン仮説がよく語られる。また近年、海馬の神経損傷も話題となっている。ただ、臨床的治療場面を大きく変えるほどの影響力のある生物学的な基礎研究はなく、決定的な結論は得られていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85心理学的・精神病理学的仮説
テレンバッハのメランコリー親和型性格の仮説が有名である。これは、几帳面・生真面目・小心な性格を示すメランコリー親和型性格を持つ人が、職場での昇進などをきっかけに、責任範囲が広がると、すべてをきっちりやろうと無理を重ね、うつ病が発症するという仮説である。なお、決してすべてのうつ病がこの仮説に一致する訳ではない。
とwikipediaには記載されている。
私が感じたうつ病の正体と今の自分が消化しきれなかった感情
ここからは、私がうつ病について感じたことを書いていく。
うつ病を発症しやすい人間として責任感の強い人間が多いというのは周知であろう。責任感というのは数ある感情の中の一つだと私は考える。ところで、人間は生きていく中で自分という人格が納得することなく時間によって記憶の奥底にほったらかしにしてしまっている感情というものがある。普段はそれを今現在いる自分がそれらの感情を抑制することによって表面に出てくることは少ない。
私はうつ病になりながら過去の私の体験時の(幼少から今現在に至るまでの)感情がこみ上げてきた。その中でいわゆる退行現象も経験した。
私が思う、うつ病とは「今現在いる自分が自分の感情をコントロールしきれなくなった時に起こる」のではないか?と思うのである。人間は何かしらの感情に対してその時に納得するか奥底にしまってしまうかという2種類の行動パターンがあるのではないかと思うのである。これを私は感情の消化と呼ぶことにする。それをコントロールしきれなくなった時に「自分という人間をどうしていいのか分からない。」という状況が起こってしまうと私は思うのである。私が経験した過去の感情は、この奥底にしまった感情でありコントロールしきれなくなったために今現在の感情に引っ張り出されたのではないかと思うのである。
うつ病の過ごし方との関係
これは今度具体的にどのような過ごし方がいいのかというエントリをあげようと思うが、ここでは抽象的に考える。
結論としては今現在置かれている自分の消化できなかった感情を一つずつ消化していく必要があると思うのである。その中で、私のように奥底に隠してしまった感情が今現在に再び引っ張りだされてしまった場合にはそれらも一つずつ消化しなくてはならないのである。これらを考えると消化すべき感情を見つけ出すことが重要ではないかと思うのである。意識できるところも含め感情というものは意識できないところにも存在している。それらを一つずつ消化していくのである。そのためには、できる限り新しい感情を増やさないことが重要だと思うのである。だからこそゆっくりとした休息が必要だと思うのである。焦ってはいけないというが、焦りもまた一つの感情であり他の多くの感情を伴ってしまう。だからこそできる限り感情を排除していく環境こそが回復への早道だと思うのだ。例えばベッドの上で何もせずに過ごすといった。ただ、人間は生きていく上で何かしらの感情を抱かずに生きるのは不可能である。しかし中には消化しやすい感情も存在する。うつ病の療養中にもそういったものに触れるのは構わないと思う。消化しにくい感情の中で特筆すべきは、「他の人間と接した時」の感情だと思う。だからこそ、うつ病患者に接する人間は、淡々としている方が好ましいのではないかと思うのである。そう考えるとブログも人間同士の感情の接触の一つだと考えると療養中にはあまり好ましくないのかもしれない。
また疲れている状態であると感情を消化するのに時間が掛かってしまうのではないかと思う。疲れている状況ではうつ状態になりやすいのはこのためではないだろうか?