教員の性欲を救わなければならない

近年、教師のその生徒への性的な行為に及んだという不祥事が問題になる度々問題になる。
そこで今回はhttp://www.asahi.com/national/update/0402/SEB200804020012.htmlと絡めて考えてみたい。

教師という立場の性欲の発散場所は果たしてあるのか?

人間と言うものは本来性欲があってしかるべきものである。それは遺伝子に子孫繁栄に関してインプットされている、人として生物としてのサガである。性欲の形は人により個性があるが、基本としてセックスに興味を持っていると考えた方が自然である。
ところが教師という立場になると性欲を出す環境が激減する。教師が風俗に行ったりすることもあるだろう。だがそれは堂々どできるものではない。見られると世間から非難を浴びる姿なのである。
まして教師は日々生徒という異性と向き合うわけである。ところがそこもやはり性欲を見せることのできない場である。つまり教師は性欲というものを見せることができない。それが現状であろう。ところが性欲は人間のおよそ本能にあたる欲求である。これが人に見せられない立場である。さらに追い打ちをかけるように、教師には教師以外の人と出会うことが少ないという現実もはらんでいる。

試験は2月25日にあり男女9人が筆記試験や面接などを受験。アンケートは面接に先だって実施。質問は79問あり、「○(当てはまる)」「△(どちらとも言えない)」「×(当てはまらない)」で回答を求めた。「他人は油断がならないものだと思う」などと性格を自己分析させる内容だったが、33問目に「セックスにはそれほど興味はない」との質問があった。

何故、セックスに対する質問があるのか?興味のない人間はほぼいない。そういう立場からすればそれを隠す人間を果たしてどう評価するのか?それは非常に意味のある質問ではあるまいか?
33問目
「セックスにはそれほど興味はない」

これの問いに対する答えが焦点なのではない。

議論するべき所は、「『セックスにはそれほど興味はない』という答えをを教師の理想とするのか、『セックスに興味がある』という答えを教師の理想とするのか」ではあるまいか?
セクハラで片づける問題ではなく、教師にとっては切実な問題を含んでいるのではないだろうか?